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南三陸町へ(1)



































 (ご無沙汰しています。オフ会やタマちゃんの健康状態、防災など、記事をまとめてアップしています。お時間のある方は、5つ前の記事からお読みください。)

 5月21日に南三陸町の被災支援センターに行きました。センターになっているベイサイドアリーナは高台にあり、赤十字、救援NPO、診療所、自衛隊、消防署、などの大きなテントの他に、仮説住宅が建設中でした。

 ペットのボランティアの団体も東京から来ている張り紙を見ましたが、どれほど、ペットが残っているかという気がしました。ここは、他の被災地とは様子がまったく違っていました。

 どうやって、この海辺の場所から、老若男女子供たちが高い場所を目指して走る事ができたのかと思いました。

 途中、幼児の三輪車が転がっていて、この子は無事だったろうかと思いました。

 瓦礫の山の前で手を合わせる救援の人。私も自然に亡くなられた方のご冥福と遺族の方々の悲しみの深さを思って海に向かって手を合わせて祈りました。それ以外にここですることはないように思いました。

 圧倒的な現実を目の前にして、自分の無力さに悼み至りました。

 南三陸町は人の住んでいる気配はなく、建物が、広島の原爆ドームのような形でいくつも残っていました。病院も役所も郵便局も壊滅し、鉄骨のみが残った姿でした。

 南三陸町の町長以下数名が役所から近くの防災センターに津波の様子を見に屋上に行った直後に津波がやってきて、アンテナのような鉄柱につかまってかろうじて難を逃れたという場所を遠目に見ながら、感情が湧いてこないのは、ここが現実とは思われない不思議な思いがしていたからです。

 先月ボランティアで家屋の片付けのボランティアで行った東松島町は、残った家に被災者が住もうとしている強い思いの芯にある喪失の悲しみが色濃く空気に混じって町に漂っているという気がしましたが、南三陸町の海岸区域には、渇いた風が舞うという感じでした。もぬけの殻、あるいは、人が住んでいる気配のない廃墟、そんな気がしました。ここから、復興と言われても、家や家族を失った被災者は本当に戸惑うだろうなぁと思いました。

 被災地を車で30分も走れば、緑が豊かな場所、新緑の緑が悲しいほどまぶしく萌え出ている場所です。

 寸断された志津川に仮の橋が架かり、たくさんの自衛隊の車が現場へと走っていく姿を見ると、ただ、ありがとうという言葉が自然に出てきました。

 高台に上がれば、今は穏やかな海。振り返れば緑の美しい場所。どうして、この優しい様子の町に恐ろしい津波が襲いかかったのかと考えることすらも寄せ付けない圧倒的な光景でした。

 南三陸町の津波に関しては、「三陸海岸大津波」とう本に当時の子供たちが書いた作文が載っています。それが何よりこの津波の恐ろしさを物語っています。
 
 車で30分行けば、北上川の美しい姿が目に写ります。風光明媚な場所と被災地の対象的な姿に、この世の過酷さとそしてまた、それにも負けずに生きてきた東北三陸海岸の人々の心の強さを見た気がします。

 東北人の魂までは壊すことが出来なかったなぁ、あの大津波でさえ、と思いました。 ((2)へと続く)

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